DSCN3025.JPG

Kyoshi chiba

1953     大阪市生まれ 

              学生の頃より登山 絵画を志す

1976     大阪芸術大学美術科卒業 高校美術教師

1993~  東京 大阪 神戸 和歌山にて個展開始

1996~  上高地温泉ホテルにて個展

1997~2004  徳沢園にて水彩小品常設展示

                          自宅アトリエにて絵画教室主宰 

                          その他、幼稚園・公民館などで絵画指導

1998~ 上高地アルペンホテル常設展

2004~2021日本山岳画協会会員

2008   長野県松本市へ転居し、活動の拠点とする

2009~松本市波田公民館で講座講師

              南岳小屋小品展示

2010~ 岳沢小屋小品展示

2012~ 長野県東御市 スケッチ大会&アートチャレンジ講師

2013    長野県大町市山岳博物館へ「花と槍ヶ岳」油彩30号変形寄贈

2015~ 2022.3松本市美術館友の会理事

2016~ NHK文化センター松本教室 水彩・パステル画入門講師

2017~2021松本市美術館友の会・人物デッサン会講師

             安曇野山岳美術館常設会場に「連峰」油彩M20号展示

2021~大天井ヒュッテ小品展示

     安曇野山岳美術館・個展

2022.3北アルプス展望美術館・「山岳画家 千葉潔展」

              ~槍・穂高と北アルプスの山々~

作品展示販売

   槍ヶ岳山荘グループ・大町山岳博物館・安曇野山岳美術館

   上高地アルペンホテル・上高地温泉ホテル・上高地食堂

   上高地小梨平キャンプ場・奥上高地徳沢ロッヂ

   松本浅間温泉みやま荘 等

Profile

  一歩一歩息を切らしながら歩を進めて頂上に辿り着いた時の達成感は、何物にもかえがたい何とも気持ちの良い一時ではないか。それは、山の高さに関係なく、多くの人が誰でも思うことで、わたしも同じ。そして、山頂から四方を眺めながら深呼吸。もっともこれは天気次第の事ですが・・・。

 この爽快な気分の中で人はカメラでパチリとシャッターを切る。わたしはスケッチブックを開く。絵が先か、登山が先かと時々聞かれるが、どちらが先かとはさほど考えたことはない。ただ目前に広がる壮大で、雄大で、光がきらめき風亘る自然の営みを余すところなく感じ見る、山なればこその空間をわたしは描きたいと言う気持ちになる。

 何故山に登るのか、そこに山があるから。

 何故山を描くのか、そこに山があるから。

とでも言えば良いのかなあ・・・。

 一度山に足を踏み入れ、絵を描いて来ると次は季節を変えて見てみたいと思いだす。それが繰り返されて50年近くが過ぎたように思う。同じ山で同じ季節、同じ構図で描いてみても、同じ絵は出来ない。意識してもしなくても絵が独りでに進んで行き、新しい気付きと見えていなかったものが少し見えて来出す。自身の成長がそこにあるので、また、山を登ることになるのが私だと思う。

 さて、話が戻って「絵が先か山が先か」を改めて思い起こす。 

 絵について 幼いころ四国は愛媛県新居浜市で電気屋を営む親せきから、毎年暮れに伊予柑と共に屋号の入ったカレンダーが我が家に届けられていた。親も子もそれが届くのを毎年楽しみにしていたのを思い出す。60年程前の話しだが。伊予柑の味はさて置き、カレンダーは当時としては珍しいフルカラーで印刷された写真や絵画で構成された先駆け的なものだった。小学1~2年の頃のカレンダーは油絵シリーズで一月一点の構成だった。一枚一枚興味深く見ていき最後の12月でショックを受けたのを覚えている。冬山の絵で画面は分厚く絵の具が盛り上げられた作品。今となっては、作者もタイトルも知る由もないのだが、目を見張って見つめた事、12月が来るのが待ち遠しくて時々ページをめくっては見ていたのもよく覚えている。父にこれはどういった絵なのか聞き、「油絵」と言うものであることを初めて知った。「やってみたい」と言ったかどうかは定かではないが、その年のクリスマス、枕元に油絵セットが置かれていた。僅か7~8歳の子どもに。

​ 山について 父がアウトドアライフを趣味としていたかどうかは実をいうとよく分からないのだが、時々ハイキング程度の山歩きに私を連れ出していたのを覚えている。

「登った山で一番高い山は」と聞いてみると「富士山」との答えが返って来た。幼かった自分は「富士山か!」と驚いた事も覚えている。そして、そのあとの質問。「富士山の次に高い山は何処」父の答えは「金剛山」一応、大阪府の最高峰ではある。標高は1,125m。何と富士山との標高差は2,651m。この事実には言葉なく最高に驚いた。「父が富士山に登った」事より驚いたのを忘れることはない。

​学年は忘れたが、小学生の自分も何か滑稽に思えたんだろう。しかし、この一件から地図をよく見るようになった。高い山、標高の高い山を探すようになった。そしていつの日か、列島の中央部に目が釘付けになり、気が付けば登山に熱中するようになっていた。

絵画と登山

​ 20代後半、美術教師をしていた頃の話し。同僚と越後の名峰「妙高」を登りに行った。同僚が「美術の先生は山を描かへんの?」絵画と山が結びついた瞬間がここにある。思い起こすと、山懐や稜線で絵を描いている人と出会ったことはなかった。カメラを構える人は数限りなくいたが・・・。

 長年お世話になるギャラリーのオーナーが、個展の案内に次のような紹介を綴って下さった。

 「生涯を通して描き続けたいと思う対象に出会えた作家はしあわせです。その対象を繰り返し描く事で洞察力と思想が深まっていくからです。  中略  たくさんの人が登山をしています。その人たちに千葉さんの絵は山の匂いや、雪解け水の冷たさの感覚を甦らせてくれます。ああ、そうだったという共感はなぜだか人を元気にします。もう二度と戻らない時間に対する哀惜の思いを超えて、前を向いて歩いて行く元気を出させるのです。芸術のもつ力の一つです。」

 2008年大阪から北アルプスの玄関口信州松本に拠点を移し、制作に励んでいる。

​ 画家仲間のとある人が言った。「千葉さん!山の近くに住むと、感動が薄らぐのではないか?」「山から離れて、通う事に意味があるのでは?」

 松本に来て10数年が過ぎた今、2008年と変わらず朝目覚めて一番最初にする行事、窓を開けて常念岳の方を見る。

 山が見えても見えなくても、常に山を意識する自分の存在に気付くと同時に、新たな感動を求めて新しい作品に向かう自分がいる。